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ベトナム2018

散歩をしていたらベトナム料理店を見つけて、ブン・ボー・フエを食べた。

ブン・ボー・フエ。辛いフォーみたいなやつ

私は5年前、18歳の頃にベトナムを旅行した。その時のことは今の自分にとっても結構重要な出来事ではあって、今になって文章に起こすことができた。まとめてみたいと思う。

2018年の8月

大学に入学した直後は井の頭公園に住んでいた。ボロい部屋で、蝉を鬱陶しく思っていたことを覚えている。特にやることもなく、部屋の中で大の字に横たわっていた。若さが浪費される感覚があった。だから旅に出ようと思った。旅に出るならベトナムだと決めていた。

羽田空港の倉庫のアルバイトをした。14時間労働を3日やり、残りの金は入学祝いの金で補う。装備を揃え、航空券を買ったら手元に6万円だけ残った。入学祝い金は全て消えた。旅に出る前は、旅に意味があると思っていた。

夜のホーチミンの街の熱気は日本の熱気とは違う。コンクリートの匂いが強かった。

夜のホーチミン

ビザなしで滞在できるのは14日間なので、14日かけてホーチミンからダラットやフエ、ホイアン、ダナンを経由し、ハノイまで縦断した。そして家に帰った。旅に意味はないことがわかった。夏休みが終わった後は文学のゼミに参加し、意味を求める生活を続けた。

その後

ベトナム旅行での経験は、その後の大学生活での経験と混ざり合い、私の中で意味を形成していった。意味が形成されたのは旅行中ではなく旅行後だった。

まず、「常識」が相対化された。例えば、

  • 日本では横断歩道があれば普通渡れるが、ベトナムでは信号がない横断歩道は待っている限り渡れない。原付の波の中を自力で進まなければ道路の向こう側に渡ることはできない。
  • 日本では最終消費者が購入する全ての商品の価格が事前に決定されているが、ベトナムでは価格は交渉を通じて決定されることがほとんどだ。

私が今持っている常識も、この文章を読んでいるあなたが持っている常識も、特定の文化的コンテキストの中で形成された常識に過ぎない。そういう突き放した目線で常識を見ることができるようになった。この考えは「健常者エミュレータ」の考えの前提に当たる。

「意味」の捉え方も変わった。意味はあるとかないとかではなく、見出せるか見出せないかのどちらかである。意味は客観的に規定されるのではなく、主観を通じて自己の信念の中に形成される。「意味がない」のではなく、「私は意味を見出せない」が実際に近い。

自信もついた。手持ち6万円で人口約1億人の国を縦断したのだ。長距離バスはハードだし、コミュニケーションにも問題があった。現地語がわからないし、英語も通じない。言語は単なるコミュニケーションの手段に過ぎないと割り切り、ボディランゲージやスマホの電卓、Google翻訳を活用して意思疎通した。コミュニケーションにおいて重要なのは最初の一歩を踏み出すことだが、その時に必要な勇気はベトナムで培った。

結果的に、私はベトナムに行った意味を見出すことができたんだと思う。ありがとうベトナム。今度はタイか台湾に行こうと思う。

以下余談:

ベトナムは面白い国だ。緑茶に練乳を入れて激甘にしたり、あらゆるものにチリソースをかけたりするのは私の口には合わなかったが、美味しい料理もあった。私はバインミーが好きだった。

バインミー(食いかけ)ベトナムは歩道にゴミとか結構落ちているので、足がむき出しになるサンダルで旅行するのはやめた方がいい

ホーチミンの路上ではぼったくりにあったし、$5で頼んだ現地ツアーをすっぽかされたこともあるが、どちらも日本ではあまり体験できないエキサイティングな経験だった。

ホイアンの市場で食べた海鮮料理は美味しかったし、世界遺産になっているフエの王宮(の中庭の真ん中)は静かでいい場所だった。

海鮮料理

フエの王宮(世界遺産