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自己紹介:2024-04-01

社会人になるまで自己紹介ができなかった。何を話せばいいのかわからなかった。

今は自己紹介ができる。どこでも通じる自己紹介は存在しないことが分かった。

自己紹介は「TPOを踏まえて適切な話題を選択し、自分について他人が理解を深められるようにする」行為の総称であり、何を話すべきかは時・場所・場面、相手の性質によって変わる。暗黙知の中でも状況依存性が特に高い部類の知識であるが、基本は変わらず「空気を読め、相手の心を理解しろ」である。理論上、状況を適切に判断し、相手が求めるものを把握し、アプローチできれば、自己紹介の攻略は可能となる。

そういうわけで、「空気を読んだ自己紹介」をここのところずっとやってきた。やりすぎて疲れたので、空気を読まない自己紹介をここに記そうと思う。自己紹介なんてクソッタレだ。

出身

千葉県の船橋市で育った。某ナシの妖精やアンデルセン公園、南の方にあるららぽーとで有名な船橋だが、ナシのおいしさはマジなので秋ごろになったら食べてほしい。日本の中では珍しく人口増加自治体だがそれは市内のごく一部の話で、僕が育った地域は過疎地域だった。

興味

子供のころはずっと「人類」を理解することに主眼を置いていた。当時の自分にとって、家族を含めて「他人」とは理解しがたく、同時に理解したいと思えるほど好奇心がわく存在だった。常に恐怖し、警戒すべき対象だった。推測になるが、目の前にいる個人ではなく、より抽象的な存在としての「人類」を理解しようとしたのは、目の前にいる個人と向き合う覚悟から逃れたからだと思う。人と向き合うのが怖かった。今でも怖い。

最初に興味が出たのは歴史だった。小学四年生のころ、世界史のマンガ本に夢中になった。人間は集団になればとてつもなく愚かな決断をするのが面白かったので、一番好きな時期は第一次世界大戦の時期だった。目の前にいる個人から逃れ、学校の図書館にこもり、人類全体を冷笑していた。

結局のところ人間は愚かなのだと思うと、自分の手で状況をコントロールしたいと思うようになる。他人を信じなくなり、家族も信じなくなった。そんな自分がやったのは、お年玉預金のソーシャルハッキングだった。

状況をコントロールするためにできることはいろいろあるが、その中の一つに「既成事実を作る」戦略がある。親がお年玉預金をしていたゆうちょ銀行の口座から現金を引き下ろし、その金でPSPを買ってしまえば、既成事実化の戦略を使って状況をコントロールできるのではないか、と小学四年生の自分は考えた。

DSiのブラウザで調べたところ、ゆうちょ銀行の預金は以下の二通りで引き下ろせることを知った。

  1. キャッシュカードをATMに指し、暗証番号を入力する
  2. 通帳と印鑑を窓口に持っていく

暗証番号は知らなかったが、通帳と印鑑の場所はわかっている。これはいけると思った。

前々から把握していた通帳と印鑑を窓口に持っていき、現金を手に入れた。その現金を使ってジャスコでPSPを購入した。親にはしこたま怒られたが、数日たち、親が隠したPSPを探し出した後に見込みは叶い、以降親は何も言ってこなくなった。人生で初めて「自分で選択し、状況をコントロールし、自分より優位に立つ相手を出し抜いた経験」である。

その後は親のお古のノートパソコンを使ってPSPを改造し、モンスターハンターポータブル3rdでモンスターの体力を可視化できるようにし、マルチプレイで麻酔球を投げるタイミングを指示する役目を負ったりした。初めてのエンジニアリングはソーシャルハッキングからのPSP改造コンボだった。これは「技術を使って状況をコントロールし、集団に対して便益をもたらした経験」と言える(ちょっと無理やりすぎるか)。とにかく、小学生の頃の関心は「状況をコントロールすること」にあったのだと思う。

中学生になってからは、当時1.2.5で日本語版もなかったMinecraftにのめりこみ、Industrial CraftやBuild Craft, Forestory for Minecraftなど工業系のModでよく遊んでいた。引き続き親のパソコンのハッキングは続けて遊ぶ端末を確保し、英語も覚えていった。初めて覚えた英単語は「Gravel (砂利)」だったと思う。純粋にゲームとして楽しんでいた。

2014年、中学二年生の2月頃、すべての人間関係が破綻した。もともとゆがんでいたのが正常に戻っただけなのかもしれない。それからは受験勉強だけやっていた。ストレスコントロールの方法を学び、最終的に地元の公立の進学校に行った。

高校に進学してからは勉強以外にも関心は戻り、クイズに夢中になった。千葉県の新人戦で大学生を倒して優勝したり、VBAとエクセルで得点表示板を作ったりしていた。それからまた人間関係が破綻し、クイズをやめた。

余ったエネルギーは受験勉強に費やした。受験勉強はやりこみゲーであり、うまくやればやるほど数字になって結果が表れてくるのが楽しかった。すべての教科が好きだった。結果的に東大に受かってしまった。

大学に入ってからは、ずっと「人類」のことを理解しようとしていた。こんなにも意味不明で、度し難く、それでいて好奇心をそそられるこの存在は何なのか、歴史や文学や経済学の観点から理解しようとした。

そして大学三年生のころ、「人類」などどこにもおらず、あるのは個人だけだったことにようやく気付いた。人間に対する解像度が上がったおかげで、人は本来多様な生き物であり、どこに行っても個人がいるだけなのだと理解した。それ以降、抽象的な「人類」などは存在せず、「どこまで行っても人は人でしかない」との認識に立ち、目の前にいる個人を唯一の存在として扱っていきたいと考えるようになった。

健常者エミュレータ事例集

人類などどこにもいない。いるのは掛け値なしの個人だけ。個人は平等に尊く、その権利が保障されてしかるべき存在だ。しかし現実はそうはならない。個人は抑圧され、阻害され、搾取される。だから人は集団を組む。その陰では、集団に入れず孤立する個人が必ず存在する。かつての、そして今の自分がそうであるように。

暗黙知は集団の中で独占される。なら、その集団に代わるものを作ればいい。そう思って「健常者エミュレータ事例集」を作った。集団に個人が虐げられず、個人が個人として生きられるように、そういう願いを込めている。

speakerdeck.com

好きな本

最後に好きな本をまとめて締めようと思います

アゴタ・クリストフの三部作。一番好き。

人間の原罪、生まれつき背負っている悪について

意外と知られていないが、オーウェルは実は結構個人をよく見ている作家だった。

最後に一つだけ。自己紹介なんてクソ食らえだ!