現実モデリング

データとかエンジニアリングとか健エミュとか

自己紹介2024/08/10

私が21歳(大学3年生ごろ)から社会人にかけての話だ。

今までの人生は最悪だった。だから人生をよくしようとした。何が不味かったのかを考え、原因にアプローチした上で改善して実行する。さらに反省事項があればまた考え、次の実行に移す。繰り返し改善してきた。そうやって「健常者エミュレータ」の考えが出てきた。

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そのあとは健常者エミュレータの考えを使い、身の回りのエミュレーションの精度を高めていった。

得られたものはあった。友人はできた。やりたかった仕事もできたし、住みたい街に住めている。欲しかったものを得るたびに、真の孤独が近づいていく。友人を得ても、仕事を得ても、孤独が消えることはない。一層強く自分の世界の中に閉じこもっていく。

言葉を尽くして語ろうとした。口から発せられた言葉も、キーボードを通じて打ち込まれた文字も、心の表面を上滑りしただけで、何も刺さらなかった。言葉の感覚と心が離れていく。言葉に心がこもらなくなっていた。何一つ本気ではない。それっぽい単語が並べられているだけに過ぎない。必死に心を込めようとしても、こめるための心が品切れだった。

栄養のことを考えながらレシピを作ったり、将来のこと考えながら金策を巡らせている最中、ふと思うことがある。自分のこの先にはもう枯野しか残っていない。絶望はなくとも、無限の枯野がこの先を待ち受けるだろう。なのになぜ将来のことを考える必要があるのだろうか。

かつて友人がいった。「自分のことを愛せない人間は他人のことを愛せない」私が今他人を愛せていないのも、一時的なものかもしれない。それなら私は自分のことを愛そうと決めた。栄養に気を使い、部屋をきれいにし、健康的な生活を送るようにした。無印良品の製品で身の回りを固めた。好きなPCパーツを買った。行きたいところにはいくようにした。

ダメだった。私には何かを愛する気持ちがわからなかった。美しいと思うことはある。尊さを感じることもある。でも愛せない。愛するとはなんだろうか。私は愛を知りたい。エーリッヒ・フロムの本を今度読もうと思う。