現実モデリング

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死と向き合う

大学生に入る直前の頃、パソコンが欲しかった。お金は持っていなかったので、祖父に買ってもらった。それ以来6年祖父には会っていなかった。会う理由がないなら会わなくていいと思っていた。

仕事をしていると、母から「祖父が危篤だから、最後に会っておいてほしい」と連絡があった。母の頼みだから会いに行った。

祖父は痩せていた。「もう二度と会えないと思っていた、最後に会えてよかった」と言っていた。私以外の孫にも全員会い、「もう思い残すことは何もない」と言い切って、家族に見守られながら死んでいった。

思い残すことはない生き様とはなんだろう。葬儀やその前の過程で見てきたが、祖母の家族が見せた涙は本物だった。だけど、時代も個性も違う祖父と同じ生き方が自分にできるはずはない。「人は必ず死ぬ」というのは前提条件であって結論ではない。その前提条件を踏まえた上で、どうするのか選択することはまだできる。体力もある。

自分の人生を振り返ってみると、目を背け続けたことがあることに気がつく。「ノイズ」を遮音するために受験勉強や仕事などを頑張ってきたが、そのノイズこそが本質だったのかもしれない。意識的にやっていたのか、無意識にやっていたのかは関係なく、積極的に目を背け続けてきたことに変わりはない。

死んでしまった人間については祈ることしかできない。生きているのならできることはある。

  • 葬儀で、死んだ祖父について、どのような人だったのか知ろうとした。義理と人情に篤い人だったらしい。
  • 7年連絡をとっていなかった兄と葬儀で再開したので、関係をやり直すことにした。
  • 昔の知り合いに連絡を取り、会うことにした。
  • 引っ越して、住みたい町に住むことにした。
  • 親とはたまには会うようにした